2025年(令和7年)9月1日 発行
(Q.現在の勤務は?)
リクルート社です。業務委託された三社で執行役員なども兼務しています。
(Q.お仕事の内容は?)
企業の採用ニーズをヒアリングし最適なマッチングを仲介する「RA(リクルーティングアドバイザー)」という業務です。短期間で急成長を目指すスタートアップ企業150社が主な顧客です。人事担当者のほか、経営者の方と直に突っ込んだ話をします。エネルギッシュな経営者の方が描く会社像や、魅力的な人材がどうしたら集まるのか? 現実と理想のギャップなどを講演会でお話しできるでしょう。
(Q.「転職志望者と会って企業に紹介する仕事」ではないのですか?)
それは「CA(キャリアアドバイザー)」です。CAの経験もあります。「ハイ・キャリア」と呼ばれる幹部社員の転職に関わり、今も常に連絡を取り合う潜在的転職志望者の企業幹部の方もいます。「より良い転職とは」というお話もできます。
(Q.元々、人事や採用に興味があったのですか?)
いえ、全然。新卒でエンターテインメント企業のコロプラに入社しました。従業員1,000人規模の会社で人事部に配属されました。学生時代から会社経営を始めて、家庭教師から夜の世界まで、様々な仕事を経験していました。コンピュータプログラミングのスクールを立ち上げ、IT業界に興味を持ち、内定も頂きました。でも「何かほかの人と違うことをやりたい」という気持ちが沸き、当時株式公開間近で活気に溢れたコロプラで、たまたま人事採用担当に配属されたのがきっかけです。
筆者は打ち合わせのために新宿で野池さんと7月にお会いしました。「講演会のある11月にはリクルートを辞めて自分の会社を設立しているので『代表取締役』になります。今後、日本の労働状況は大きく変わります。現役大学生~引退した60代以降の方々まで、様々な世代がお得に思える話をしますよ。」とのこと。
東京・目白育ち。高校時代にちょっとした出来事(?)があり通信制高校に転校。今風に見えるが趣味は寺院巡り。大谷翔平と同じ歳の、若き経営者が語る転職市場のお話に今から期待が止みません!
( 1991年卒 片桐 智樹 )
2024年度の会員大会は、11月10日にソフィアンズクラブにて開催されました。総会、懇親会の前に行われた講演会は、片桐智樹氏(1991卒)をコーディネーターとして、大変示唆に富んだトークイベントとなりました。その様子の一部をお伝えします。
◆日本は外国人嫌い?
アメリカのバイデン前大統領が「アメリカは移民政策で経済成長を遂げているが、日本は外国人嫌いの国である」と語ったというニュースがありました。 私は、好き嫌いは別にしても、日本は外国人にとってハードルが高い国だと思っています。
◆探検部を経て旅行会社に
私は1965年に生まれ、滋賀県で育ちました。地元の高校卒業後、いったん東京の他大学に入学しましたが、すぐにドロップアウトして、1年半ほどアメリカ、ドイツに滞在しました。その後、英語教師を志して上智大学の教育学科に入学しました。
大学では探検部に入部。勉強よりも探検が楽しく、アルバイトをして稼いだお金で海外を放浪するという学生生活を送っていました。就職活動では、放浪ネタが企業に受けて、大手数社から内定をもらうも、小さな旅行会社に就職しました。ベンチャーならではの迅速な意思決定と行動力が鍛えられ、2年後には起業して独立しました。
アジアの奥地や3,000メートル超の高地を専門にした旅行会社を設立し、6か国に8つの現地法人を作りましたが、18年間が過ぎたところで辞めました。いったん日本の出版社に勤めますが、友人からの突然の誘いでミャンマーに行くことになりました。
◆ミャンマーの情勢
ミャンマーでは、エイジアンユニティという会社を作りました。アジアから日本に来る外国人の雇用に対する総合支援を主な業務としています。
ミャンマーは日本と比べて面積が1.8倍、人口が約半分の国です。国民の約9割が仏教徒で、「悪いことをしたらバチが当たる」など、日本人と感覚が似ている国と言えます。
軍によるクーデターは今も続いていて、大学はほぼ機能せず、 外国企業の撤退・休眠が相次いでいます。貿易や経済活動が大幅に縮小して、物価高騰により生活が大変です。ミャンマー国内の就労機会は少なく、特に若い人は外国に行くチャンスを掴もうとしている状況です。
◆ミャンマーに学校を作る
私の会社では、そうした若者が日本に行く準備ための学校を作り、現在550人の卒業生が日本で働いています。勤め先は主に中小企業ですが、ミャンマー人は勤勉で責任感があり、控えめで優しい人柄はとても評判がいいです。また、ミャンマー語と日本語は文法が似ており、日本語がすぐ上手になります。
とはいえ、文化や考え方が異なる部分も多く、日本文化の教育に力を入れています。日本人スタッフは、日本の企業で必要となる技能のトレーニングを担当しています。例えば、清掃、自動車整備、調理、ベッドメイキングなどです。それに加えて、挨拶や掃除、報告・連絡・相談などの日本特有のビジネスマナーや、給与体系、労働法規などの指導も重視しています。
学生には、日記を日本語で毎日書かせ、先生が丁寧に添削しています。これを半年から一年繰り返すと、日本に来たその日から業務日報がすらすら書けるようになります。
日本の企業に採用が内定したら、企業宛てにビデオレターを出します。学生が企画、撮影、編集をして、日本に行く前から企業にミャンマー人のことを理解してもらうようにしています。
私自身は行政書士の資格を取り、ミャンマーの技能実習生と日本の中小企業との間の法的な課題の解決にも取り組んでいます。現在は一か月単位でミャンマーと日本を交互に行き来をしています。
◆セカンドライフへの提案
ところで、今日お越しの皆さんに、1つの提案があります。それは、 セカンドキャリアとしてのミャンマーでの生活がなかなかいいというものです。
私が作った学校には、60歳を機にミャンマーに来た日本人の先生が2人います。2人とも、もう日本には帰りたくないと言っています。
ミャンマーで生活する上で、一番良い点は常夏の気候です。気軽な服装で1年中過ごすことができ、建物の中はどこでもエアコンが効いていて快適です。
食事については、東南アジアはどこに行っても米食文化です。日本食のレストランもたくさんあるので、食事が合わなくて困るということはまずありません。ただし、屋台での衛生面や、宗教によるメニューの制限には注意が必要です。
言葉の壁は、スマホ等の翻訳機能が向上し、あまり気にならなくなっています。ネット環境もかなり整っています。
現地では日本人であることがすでに特技であり、日本企業が多数進出していますから、日本語や日本的なサービスを知っているだけで、現地で仕事を探すのは苦になりません。
休日には気軽に国境を越えて旅行ができるのもいいところです。飛行機代はとても安く、短時間でさまざまな国に行けて、程よい刺激をたくさん得ることができます。
会の冒頭で、日本は外国人嫌いだという話がありましたが、実は世界は日本人嫌いではないと思います。これからもう一度何かやってみたい、人生にもうちょっと刺激が欲しいという方は、 豊かなセカンドライフの選択肢の1つとして、ミャンマーでの生活をおすすめします。ちなみに、もちろんミャンマーにもソフィア会はあります。
( 1995年卒 杉浦 元一 )
いつもの語り口もさえる
髙祖先生
本当に善い会でした。通り一遍の祝辞・形式に留まらず、和気藹々とした和やかな雰囲気の中にも背筋の伸びた敬意の眼差し。140名を超える参加者と髙祖先生の作り上げる「場」と言うものだったのでしょうか。
時に、皆懐かしさの余り同期仲間で盛り上がり、式次第が滞りそうな場面では、子細背景を全て承知しこの日の総合司会を自ら引き受けられた栗原峰夫同窓会役員の、横浜サイエンスフロンティア高校校長時代をも彷彿とさせる(見たことはありませんが・・・)凜とした教育的指導(司会進行)が会の流れを呼び戻すことも・・・。皆さまのハッと我に返ったお顔が忘れられません!
奈須正裕教育学科長の挨拶・乾杯に続き、加藤幸次名誉教授の挨拶、「叙勲には副賞の100万円とかはありませんのや!」発言には皆苦笑も。新学長に内定された杉村美紀先生の挨拶に続いて、同窓会会長の長尾が挨拶をさせていただきました。「おめでとうございますと同時にありがとうございます」のメッセージを添えて。「ありがとうございます」は、上智大学のブランド価値向上を素直に喜ぶひとりの卒業生として。
それは正直、荷の重い役目ではありました。「髙祖先生が叙勲!」の報を受け、教育学科と同窓会役員はすぐに「お祝いする会」の開催を決定いたしましたが、上智学院主催の会や諸事情から年内開催が困難となり、何とか年度内にはということで、髙祖先生のご都合に合わせて新年早々の第2土曜日に決定いたしました。約半年の準備期間はありましたが、告知の方法や参加申込受付の問題、参加者総数の目算等々、同窓会の会員大会とはステージの違う苦労も多々ありました。勲章の展示は可能なのか? 手土産は?!
参加者の皆さまと参加は叶わなかったけれども静かに見守っていただいた同窓生の想いに依って、髙祖先生にも大変に喜んでいただけた会となりましたことをご報告いたします。
( 1986年卒 長尾 和洋 )
湯川嘉津美先生が本年3月をもってご退任されました。先生は1993年、前任の香川大学から文学部教育学科に日本教育史担当の助教授として着任されて以来、上智の在任期間は実に32年に及びます。先生は日本の幼稚園の成立過程に関する実証的検討を通して、幼児教育史という新たな領域を教育学の中に確立したパイオニアであり、先生の下からこの分野の優秀な研究者が数多く巣立っていったことは、みなさまもよくご存知の通りです。
湯川先生の後任として4月に着任された野々村淑子先生は、お茶の水女子大学を卒業後、東京大学大学院に学ばれ、九州大学教育学部で教育文化史を担当してこられました。教育・子ども・家族や性差の社会史、文化史がご専門で、現在は英国の子どもや母親向けの救貧事業の研究に取り組んでおられます。子どもの問題を巡り親、とりわけ母親の役割や責任に関して発せられる様々な言説が暗黙の前提としていることは何か。それはいつ、どのように形成されてきたのかを実証的に明らかにする先生の歴史研究は、上智の教育学に新たな地平を切り開いてくれるに違いありません。
(教育学科長 奈須 正裕)
野々村淑子先生
杉村美紀学長
本年4月から、本当に思いもかけず、教職員の皆様からのご推挙を受け、学長職を仰せつかることとなりました。今回、こうして役職を務めることができるのも、学科の先生方や事務室の宮﨑尚子さん、宮本実紀さんのお力添え、そして学生の皆さんや卒業生の皆さんからの応援を頂戴しているからこそです。
私は2002年9月に当時文学部にあった教育学科に着任させていただきました。初めて教育学科にお伺いし、学科の会議に出席させていただいた時のことは今も鮮明に覚えています。以来、授業や会議でも、あたたかな雰囲気と相互のつながりを大切にし、お互いを思いやる「上智らしさ」を感じてきました。学長として仕事をする上でも、ソフィアンの皆様が大切にしてこられた「上智らしさ」を土台とし、かつ「変わらないために変わる」ということを合言葉に、皆様とともに様々な活動を展開できればと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
◆ 訃報 ◆
香川正弘先生
2025年4月13日、肺癌のため逝去。82歳。
1971年 広島大学大学院教育学研究科博士課程修了、87年 広島大学にて教育学博士学位取得(題目「イギリス大学拡張成立史研究」)、佐賀大学勤務を経て、1990年より上智大学に教授として着任。担当は生涯教育学。2008年特別契約教授。2009年名誉教授。
■ 会長 : 長尾 和洋(1986)
■ 副会長 : 片桐 智樹(1991)、黒木 健(1993)
■ 役員 : 伊藤 奈美予(1977)、栗原 峰夫(1982)、神林 達郎(1983)、栗原 明子(1985)、赤松 加奈子(1987)、森沢 洋子(1993)、杉浦 元一(1995)
■ 監事 : 手島 美智子(1978)
※ 以上、会長、副会長(2名)、一般役員(7名)、監事が、定例の運営メンバーとなります。 新規役員絶賛募集中です!!
2025年11月9日(日) 14時15分 ~ 14時30分
記
1 . 開 会 宣 言
2 . 活 動 報 告 ( 長尾会長 )
3 . 会 計 報 告 ( 会計委員会・ 片桐 )
4 . 役 員 紹 介
5 . 会 計 監 査 報 告 ( 監事・ 手島 )
6 . 閉 会 宣 言
以上
① 役員会開催(7月6日、2月22日、5月24日)
② 会報誌「ROAD」発送作業(9月14日)
③ 会員大会・講演会開催(11月10日)
④ 祖先生の叙勲をお祝いする会(1月11日)
⑤ 学位授与式参列・卒業生へのメッセージ(3月24日)
(令和6年6月1日~令和7年5月31日) (単位:円)
教育学科同窓会の各種活動(会報誌「ROAD」の製作・発送、会員大会の企画・運営他)は、全て同窓会会員の皆さまの「終身会費:10,000円」のみに依拠しています。2025年9月1日現在、住所の判明している同窓生のうち約30%の皆さまには会費の納入をいただいておりますが、会計報告の通り毎年の繰越金も心許ない状況です。
より一層多くの皆さまのご協力を切にお願いいたします。
→ 振込先 : 三井住友銀行 三鷹支店 普通 7147840
✓ 名義は、「上智大学教育学科同窓会」です。
✓ 振込ご依頼人の前に、「卒年」を西暦末尾2桁で付けてください。(例 : 86ナガオカズヒロ)
お知り合いの同窓生に、「ROADが届かなくなった。」「そもそも届いていない。」等の方はいらっしゃいませんか?
同窓会ホームページ一番下の「住所・氏名の登録/変更」ボタンから、卒年・お名前・ご住所・メールアドレスをご登録いただくよう、是非お伝えください。